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果たして君は、いじめられる側を選択できるだろうか?

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いじめることは悪いこと、

 

であるならば、

 

その反対であるいじめられることは、
良いことのはずだ。

 

では、もし君がいじめる側といじめられる側、どちらか一方を選べるとしたら、

 

君はいじめられる側を選ぶことはできるだろうか?

 

昔のぼくなら、答えはノー。
なぜなら、いじめられることは、心に酷く傷を負うことだからだ。

 

ぼくは、それがたまらなく怖かった。

 

今のぼくなら、答えはイエス。
いじめることは、正しくない(と思っている)からだ。
一方が、もう一方を、一方的に攻撃することで自尊心を回復する、卑怯な手口だからだ。

 

ぼくは中学生時代に実際にいじめられた経験もあるし、学校が全て、学校が世界である年代に、世界は自分を傷つけるものだと思い込むことが、どれだけ精神を追い込むか、痛いほどよくわかる。

 

26年間生きてきたけれど、中学生時代の、心の葛藤が最も辛かった。

 

ぼくは口唇口蓋裂という先天異常を持って生まれた。それに伴い、言語障害もある(主にさしすせそ系の発音が苦手)。

 

おまけに中程度の感音性難聴もある。これは口達口蓋裂とはまた別のもの。

 

さらに白状すると、小学生までのぼくは、ダウン症だとか、知的障害のある子たちを差別していた。

 

自分が先天異常を持って生まれ、言語障害を患っていて、なんてことは全く知らなかった。

 

けれど中学生時代になって、自覚した。

 

口唇口蓋裂は手術を受けて、現在はそこそこ綺麗に治っている。
口達口蓋裂は歯並びにも影響して、ぼくは生まれつき、3本、人より歯が少ない。

 

そのうち1本ぶんを、腰の骨髄から移植する手術も受けた。
そのため何度か病院へ入院した経験がある。経過を見るために、通院もした。

 

たぶん、その辺の人よりも病院へ行った回数は多いと思う。

 

中学生時代、通院のために病院へ行ったある日のこと。
ふとカルテに目をやると「口唇口蓋裂」という文字を発見した。読めなかった。

 

検診が終わり、お家に帰り、インターネットでこっそりその漢字のことを調べた。
すると、口の辺りが、一部欠けている赤ん坊の写真がたくさん出てきた。なんだこれは。

 

ぼくはこの時、初めて自分の障害を自覚した。当時のぼくにとって、それはかなり衝撃的なできごとだった。

 

葛藤した。

 

なぜ入院し、手術を受けていたのか。
なぜ放課後に別の学校へ行き、言語訓練を受けていたのか。

 

なぜ自分の右鼻のカタチは歪んでいて、中の方に肉の出っ張りがあるのか。
そしてそれはずっと消えないのか。

 

なぜ自分の発している言葉が、なかなか聞き取ってもらえなかったのか。

 

全て、理解した。

 

そして、こう思った。

 

ぼくはこれから、差別される。
ほどなくして、ぼくは学校で馬鹿にされるようになった。

 

国語の時間。

 

教科書の音読、ぼくが読むたび、クスクスと笑うやつらがいる。

 

国語の時間、音読をするときは、自分に当てられませんようにといつも祈っていた。

 

心臓が、強く脈を打っているのがよくわかった。

 

胃がキリキリと、痛かった。

 

みんなが、ぼくのことを障害者だと差別してるんだ。
当時のぼくには、世界がそう見えた。

 

でも、もしかしたら、他のクラスの子たちは、ぼくの障害を知らないかも。
でも、ぼくが言葉を発したら、バレる。
そしたら、差別される。

 

じゃあ、どうすれば。
そうだ、言葉を発さなきゃいいんだ。
でも、そんなことをしたら、一切のコミュニケーションがとれない。

 

それならばもう、学校へなんか行きたくない。そんな世界では、暮らして行きたくない。

 

でも、学校へ行かないのは悪い子だ。

 

ぼくは、悪い子?
いじめられてるのは、ぼくなのに?

 

いじめられるのは、カッコワルイ。
家族の誰にも知られたくない。
だから、誰にも相談しなかった。

 

頭が痛い、お腹が痛い、なんだか気持ち悪い。
学校を休む理由を探すのがぼくの日課だ。

 

祖母は、学校で何かあるの⁉︎と言う。

 

ないよ(相談してもきっと無駄だと思ったし、隠したかったから嘘をついた)、とぼくは言う。

 

祖母は、じゃあ行きなさい!と言う。

 

そのヒトコトが、とても辛かった。

 

行きたくないなら、行かなくていいよ。
そう言って欲しかった。

 

中学生のぼくにとって、
学校は世界そのものだった。

 

世界は、ぼくを傷つけるようにできていた。

 

そんな世界、ぼくは暮らしたくない。
そんな世界、ぼくは生きたくない。

 

じゃあ死んだらどうなるか?

 

学校を休んでいる間は具合が悪いフリをしなければいけないから、布団に潜って空を流れる雲を眺めてた。

 

ぼくが死んだら、どうなるか?
死ぬって、どういうこと?

 

自分が自分であるというこの感覚が、なくなるってどういうこと?

 

何も感じられないのであれば、死を感じることはできるはずもない。

 

死ぬって、なに?
ぼくは、死ななければいけないの?
なにも間違ったことはしていないのに?

 

死ぬべきは、ぼくをいじめているやつらのほうだ。ぼくは、間違っていない。

 

そうに違いない。

 

なのになぜ、ぼくは学校を休んで、あいつらは学校に通っているんだ。

 

こんなのは、おかしい。
絶対に、間違ってる。

 

ぼくは、死ぬべきでない。
死んだら全てが終わるんだ。

 

死ぬって、
どんなことかわからないけど。

 

こんなことばかり考えていた。
ぼくはここまで追い込まれた。

 

でも、生きていて本当によかった。
世界は可能性と刺激に満ち満ちている。

 

でもいじめは、大人になってもあるみたい。

 

大学生あたりからは、ぼくの周りでは見たことがないけれど。
スーパーとか、パートアルバイト系の職場ではわりとあるらしい。

 

いやだなあ。
いい年して、いじめなんて。
人を傷つけて自分の心を満たすなんて。

 

だからぼくは、いじめる側といじめられる側、
どっちかを選ぶとしたら、いじめられる方を選ぶ覚悟だ。

果たして君は、いじめられる側を選択できるだろうか?

このエッセイは、下の本から刺激を受けて、ぼくの体験と感情を思い出しつつ文体を真似てみたものです。

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About エーサ(Eita Sato)

移動型のライター・編集者。3ヶ月〜1年スパンで拠点が変わる。得意ジャンルは旅・ライフスタイル・テクノロジー。インタビューが好き。 趣味は旅・読書・ランニング・喫茶店巡り。旅は、現地に紛れ込んでその土地の空気感を肌で感じ取るスタイル。

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