口唇口蓋裂の当事者として思うこと

先日、口唇口蓋裂のお子さんをもつ福井さん(仮名)から、Twitter経由でご相談をいただきました。

以下、その内容です。

私の第三子が口唇口蓋裂で生まれ、二度手術し見た目は分かりませんが、いま3歳、発音障害があるためタ行やカ行は親も聞き取りが難しいです。これから本格的に言語を獲得していくにあたり、イジメも気になりますが、発音の訓練はどれほど改善されるのか、当事者のご意見をお聞かせ下さい。

ぼくの返事はコチラ。

ぼくのケースですと、小学校の6年生まで「ことばの教室」という
言語訓練施設(?)にてマンツーマンの指導を受けておりました。

いま現在は「大きな困りごとはない」レベルになっています(サ行・タ行は苦手意識が残っていますが)。
発音に関しては、年齢と共に徐々に習熟していったように感じています。

「なぜぼくのトコロにご連絡を」と思ったので尋ねると、

「口唇口蓋裂 当事者」という言葉で検索したなかで、佐藤様が呼びかけたクラウドファンディングのページがありました。実名で呼びかけておられたこと、またライターというご職業も加味すると、もしやwebに痕跡がないかとお名前で検索し、noteとtwitterを見つけ、連絡のとりやすいtwitterでDMをさせていただいた次第です。口唇口蓋裂の当事者が活動されているケースのうち、ネット上で検索して見つけることのできるケースはあまり多くはないでしょう。

このようなお返事をいただきました。
過去に行ったクラウドファンディングのページ経由での発見されたとのこと。

口唇口蓋裂関連のサイトとしては

LIPS-小林えみか
https://nishiokatenko.wixsite.com/lips

Leonine – 口唇口蓋裂と向き合い、明るく楽しく生きる、を応援するサイト
http://leonine-clap.org/

を知っていたのでとても不思議な気持ちでした。

口唇口蓋裂に関する情報発信、コミュニティづくり等にしては、このような方々にお任せしようとも考えていました(クラウドファンディングは失敗に終わったので)。

しかしこうして連絡いただいたことを考えると、ぼくが行うべきこともありそうだなと、試しに筆を執った次第です。

今すぐできるのは「口唇口蓋裂の当事者です。それなりに堂々と生きてます。」という姿を、もう少し目立つように発信していくことでしょうか。

辛さを克服(?)した大人の当事者として、これまでにぶつかった葛藤を書いておこうと思います。

なんで僕なんですか

口唇口蓋裂という障害は、500人に1人の確率で発生する。

めちゃくちゃ珍しいわけではないけれど、そんなに多くはない。
平均的な感覚からはズレるが、そこまで目立たない。

見えにくい障害だなと思います。

いちばん辛かったのはたぶん中学2〜3年生くらいのころ。障害をもって生まれたことを知り、それまでの疑問(言語訓練に通っていたこととか、鼻のカタチが少し変とか、口の中に穴が空いているとか)が全て繋がりました。

「ぼくは、これから一生涯、差別され続ける運命なんだろう」

こう思いました。ショックでした。

「なんで僕なんですか」

という葛藤がありました。手術の跡が口の中にあるので、一生忘れません。種類は全然違いますが、タトゥーみたいなもんです。メスや針が身体を通った跡が刻まれています。

障害を持って生まれたのは偶然でしかないんですが、その偶然を受け入れる度量が当時のぼくにはなかった。だからめちゃくちゃ辛かったんですね。

なんでいじめられなきゃアカンのですか

辛かったのは、障害そのものというよりコレですね。サ行やタ行の発音が上手くできなかったので(今も難しいですが)、国語の音読の時間とかはよく笑われていました。

当時はE・Tが流行っていた(?)のもあって、影でE・Tとか言われたり、休み明けは「お、火星から帰ってきてるやん」みたいにコソコソ話しているのが聞こえたり。

何か悪いことをしたわけでもなく、たまたま障害をもって生まれただけ。なのに何故、こんな頭の悪そうなヤツらにバカにされなければならないのか。

彼らはどこで何をしているのか現在は一切わかりませんが、思い出すたび「バチが当たっていますように」と願う自分が居ます(悲しいことに)。他人を虐げた人間が、幸福な人生を歩めると思うなよ、という価値観があるのでしょう。

でもぼくだって、知らない間に誰かを傷つけている可能性があるんですよね。意図的に傷つける行為はアカンと思いますが、他人の不幸を願うのはちょっとお門違いだなと思います(でも本心はそれを願っているという矛盾)。

あと、頭の良し悪しで人間の価値を決めようとするモノサシもダメですね。ここは反省すべき点。

なんで大変さを理解してくれないんですか

言語障害を伴うため、平均的な人よりも発話にエネルギーを使います。「障害を知られたくない」と常に周囲を警戒し、人と接することを避けるパターンもあります。

ぼくの場合、言葉を発する→言語障害がバレる→いじめられる という図式が頭の中にあったので、「無口になればいじめられないのでは?」と考えたことがありました。

でも人間社会にいる以上、会話しないのは基本的にムリ(できることなら会話したいですし)。

こんな調子だから、普通に過ごしているだけで疲れやすい。このあたりの大変さは大体「気の持ちよう」とか「気合が足りない」という風に処理をされます。大衆は、共感できない痛みには冷たく接しがちです(もちろんぼくの内にも大衆的感覚はありますが)。

なるべく色々な種類の痛みを理解できるようになりたいなと思っています。

まとめ

なんだか上手にまとめられませんでしたが、概ねこのような葛藤(?)を経験しました。「偶然に授かった重荷をどう受け止めるか」という悩みが大部分だと思います。

口唇口蓋裂当事者の大人とは何名かお話したことがありますが、障害について幼少の頃からしっかりと教わって、劣等感をほぼ抱えることなく過ごしている方もいらっしゃるそうです。

だから置かれた環境によっては葛藤を抱えずに済むみたいです。

▼質問等がある方はTwitterにて受け付けております
https://twitter.com/awayukigamofu?lang=ja

オマケ

まさにこんな気持ち、という曲があるので紹介させて下さい。

元ぼくのりりっくのぼうよみ(現たなか)さんの「人間辞職」です。

ABOUTこの記事をかいた人

編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。