言(ゲン)と葉(ヨウ)と言(こと)

こんにちは。エーサです。
ひさ~しぶりの更新です。

近ごろは編集学校で勉強をしたり、友人と日本語の勉強をしたりして、、あらためて、日本語のことをよく知らなかった、そもそも言葉のことを全然知らなかったと、思い知る毎日です。

『白川静 常用字解(第二版)』にて、言葉という漢字のひとつひとつを調べてみると、こうありました。

 

言(ゲン)

古い字形は、辛(シン)と口(こう)を組み合わせた字。

辛は入れ墨をするときに使う把手のついた大きな針の形。
口は神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。

もし誓約を守らないときには、この針で入れ墨の刑罰を受けますというように、神に誓いをたてて祈ることばを言という。

なんと言葉の半分は、神に誓いをたてて祈ることが、その意味に含まれていたんですね。
誓いを守れなかったときは、入れ墨をいれるという刑罰をうけますという。恐れ入りましたといいますか、言(ゲン)は慎重に使わねばならないと思わされました。

 

葉(ヨウ)

ヨウ(葉の下の部分)には、木に新しい枝が三本伸びている形。その枝の上のものを葉といい「木のは、は」の意味となる。

葉は薄いものであるから、すべての薄いものの意味に用い、一そうの舟を一葉の舟といい、紙の枚数を数えるとき、一枚を一葉という。

もう半分の葉(ヨウ)は「薄いもの」を表すようですね(だじゃれではありませんよ)。

神に誓いをたてる言と、薄いものを意味する葉。
まるで真逆の二つが組みあわさった風にも感じます。

これはいったい何故なんでしょう。

と思って『世界大百科辞典』をあたってみると、言葉(ことば)という日本語の原型は「言(こと)」であって、ことばというのはその派生系なようです。

勘違いでございました、笑。

言(こと)というのは、もちろんいまでいう言葉のこと(←コッチは事ですね、ややこしい)。
たしか中国から漢語を輸入して使い始めるまで日本は文字文化がなかったはず。

となると、言は「コ」と「ト」という音を組み合わせたもの。
このふたつの音が、日本語における「言葉」の原型ですね。

世界大百科辞典にはもうひとつ面白い指摘がありました。

そしてこれらの〈こと(言)〉は,意味的に〈こと(事)〉と区別することがほとんどできない。たとえば〈ことあげ〉〈ことどう〉などが〈言挙・事挙〉〈言問・事問〉と両様に表記されている点にその消息がうかがえる。つまり古くは名辞としての〈こと〉と現象としての〈こと〉はなお未分化であった。

〈事〉と区別された〈言〉のみを意味する〈ことば〉という語の出現には,〈言・事〉の分化,言語そのものへの自覚の高まりが示されている。またそうした自覚は,従来の音声言語に対するあらたな書記言語(文字)の普及により促されたとみられる。

身の回りにある事物を認識する行為が始まって、それを「こと」と呼んだ。
そして文字の普及によって、言をつかって事に名前をつけたり、指し示したりしていることを自覚し始めた。

次第に事と言とが分かれていき、事から言が独立した。
大雑把に解釈するとこんな感じでしょうか。

中国における言(ゲン)は、神に誓いを立てること。
日本における言(こと)は、まだちょっとわかりませんねぇ(笑)

コ、トという音が認識の始まりだったんでしょうか。

ぐぬぬ。。。今日のところはここまでにしておきましょう。
言葉は奥が深い(という浅はかな感想)。

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編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。