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ぼくは健常者と障害者の間にある境界線を曖昧にしたい。

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どーも、えーたです。

突然ですがぼくは、言語障害と感音性難聴をわずらっています。どちらも軽度ですが、話しにくさ、聞こえにくさを感じながら生活をしています。だからたくさんの会話をすると、とっても疲れます。ぐったりして、人の話が耳に入ってこなくなります。

 

ぼくは自分で、障害者と健常者の間に境界線を作ってしまっています。あとなんとなく、なんとなくですが、障害者に対して一線を引いている人が多いようにも感じます。

 

ぼくはそんな境界線を、曖昧にしていきたいと思っています。

 

 

自身が曖昧な存在

なぜそんなことをしたいのかというと、ぼく自身が曖昧な存在だからです。端から見ると健常者ですが、間違いなく言語障害をわずらっているし、軽めの感音性難聴もわずらっています。でもパッと見ではわからない。説明をすると「ははーん、そうなの」みたいな感じで理解してもらえる。

 

理解というか「なんかそういうのあるのね」くらいの認識をしてもらえるというか。本当はもっと理解をして欲しいのですが、これは仕方のないことだと思っています。だって、知っても知らなくても、たいして困りませんから。

 

加えてぼくは、マイノリティな存在です。言語障害(というか口蓋裂)× 感音性難聴の時点で5万分の1くらいの個体なのですが、昔から「変わっている」とか「普通にした方がいいよ」とか、いろいろ言われてきました。

 

日本人特有(?)の「察する」という行為が苦手です。言いたいことがあれば言うし、言いたいことがあれば言って欲しい。でもそれをやると、「傲慢」とか「我が強い」とか「頑固」みたいな見られ方をする。

 

考えていることをただ話しているだけで、特に強要もしないし、ただ自分が自分らしくあろうとすることが「やってはいけないこと」のように感じる日々を送っていました。自分の考えを持たず、「空気」を読み、無難な行動をする(というか行動をしない)人が良しとされるって、なんだか変だなぁと感じながら生活していました。いまぼくが要る環境は、決してそんなことはなくて、すごく楽しいです。

 

日本で生まれて日本で育ったはずなのですが、日本人の醸し出す空気になじめないという。そして放浪系フリーライターというふわっとした立場で生活しています。

 

 

橋渡しができそう

現在の社会は、健常者の身体機能をベースに作られています。例えばぼくはスピーカーから出る音を聞き取るのが苦手で、電車に乗っている際の「次は何駅です」といった案内は、声が小さい場合はほとんど聞き取れません。あとは英語のリスニングテストなど、安物のスピーカーを使っている場合は最悪です。

 

でもこれは、構造上仕方のないものなのかなぁとも感じています。少数のものに合わせて何かを設計するよりも、多数のものに合わせて設計する方が合理的です。しかしここで、面白い仮説があります。ラジオ版学問ノススメという番組で聞いたものです(コチラコチラ)。「障害者施設」のお話で、お役所の方々が組んだカリキュラムよりも、現場にいる人が一人一人に接してつくったカリキュラムの方が遥かに効率的にまわるという。

 

いわゆる「弱者」の人たちは声にならない声をあげていて、それを丁寧に拾いあげてと設計をしていった方が遥かに効率的なシステムができ上がるのです。設計をする工程は非常に非効率に見えますが、ひとたび設計が完了すれば、そのシステム自体は非常に効率的で、それを健常者にも適用できたりもする。

 

実は、弱者を基準にいろいろを設計した方が効率的な社会システムができ上がるんじゃないのか、という仮説です。ぼく、これにとってもワクワクしているんです。自分はいわゆる弱者側なので、自分の声を必死に聞いて、文字に起こして、もっと、もっと、表現をしていこうと思っているのです。

 

表現をして、繊細さ・敏感さを磨いて、それをつかって声にならない声を吸い上げて、健常者と障害者の橋渡し的な存在になる。ぼくが、境界線をあいまいにしてやろうと、そういう魂胆です。

 

障害者の世界を理解するのは、関心のある人以外にとっては、はっきりいって退屈だと思うので「おしゃれに発信していきたい」と思っています。「障害をファッションにする」という心持ちです。ぼく自身が旅好きということもあり、ゲストハウスと絡めてなにかできないかなぁと企んでもいます。

 

 

境界線のない空間で、境界線を曖昧にする

ぼく自身は、障害者×マイノリティ×放浪系フリーライターというかなり曖昧な存在です。しかしゲストハウスいう空間は、そんなの関係なくなります。国籍も、性別も、年齢も、肩書きも、一切関係ありません。いち個人対いち個人です。非常にシンプル。ぼくが、旅を好きなのもそういった理由かも知れません。

 

ぼくは旅をしている時のみ、佐藤英太という、いち個人になれる、所属もないし、年齢も性別も国籍も宗教も何にも関係ない。お互いに違っていて当たり前で、まずお互いの違いを理解することから始まる。

 

でも、ぼくが感じてきた限りの世界では「お互いが違うという前提」が存在しないことが多い。障害者に対しては思い切り線引きをするのに、そうじゃない場合は、同等であることを求められる。ぼくは障害者だし、感じてきた世界は違うし、そもそもの考え方も違う。だから同等の感覚は持ち合わせていないのに「普通はこう」みたいないわれ方をする。

 

健常者が障害者のことを知ろうするのは難しい。知らなくても困らないから。その点は理解しているので「障害ってむしろおしゃれだよね」くらいのアピールをしていきたい。手始めにつくったのは難聴ピアスだ。これは今後も作成していく予定。

 

コンプレックスは、ファッションにすることが可能だ。その過程をストーリーとして電子書籍なりなんなりにしていくのも面白い。境界線をなくす、曖昧にする事業をしていきたい。それで、起業したい。一体、何ができるだろうか。webメディアを展開できそうだし、作品の展示もできそう。

 

コンプレックスをファッションにするマインドセットもできそうだし、それは人間に普遍的なものであるから、日本国内にとどまらない。いいかもしれない。けっこう、社会に貢献できるかも。社会の最小単位はあなたとワタシ。あなたと私の関係を、境界線を、曖昧にしてしまいましょう。みたいな。

 

コンセプトだけはバッチリだと思うんだよなー。
この辺はまだ先の話で、よくわかりません。
だれか、ぼくと一緒に曖昧にしていきませんかー

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About エーサ(Eita Sato)

移動型のライター・編集者。3ヶ月〜1年スパンで拠点が変わる。得意ジャンルは旅・ライフスタイル・テクノロジー。インタビューが好き。 趣味は旅・読書・ランニング・喫茶店巡り。旅は、現地に紛れ込んでその土地の空気感を肌で感じ取るスタイル。

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