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Facebookの虹色プロフィールについて

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どーも、えーたです。

 

なんかみんなのプロフィール写真が虹色になっているので「なにかなぁ」と思って調べたら、アメリカで「同性婚」が認められたんですねー。これには驚きました。いや、それほどでもないか。同性婚がオッケーという事実と言うか、生物として非効率なはずの結びつきがなされていることが驚きというか。

 

LGBTについては、けっこう思うところがいろいろとあるので、いろいろの立場から書いてみました。

 

マイノリティとして

まずLGBTについて、ぼくの立場は「のんけ」です。女の子が好き。だから、同性と結婚したいなぁとは思ったことがありません。でも、今回の件については「ほっ」とした感覚を覚えました。たぶん、マイノリティだからでしょう。あんまり自分でマイノリティっていうの好きじゃないんですけどね。ほら、カテゴライズがそもそも好きじゃない質なので。でも今回はあえて、「マイノリティ」という立場から書いてみます。

 

ぼくはいま「編集工学」にめちゃくちゃ興味があって、あとはビパッサナ瞑想と、デッサンのやり方を教わりたいと思っています。多分この時点で、大抵の人は「?」といった感じでしょう。編集工学というのは「情報の取り扱い方」の方法論みたいなもので、ビパッサナ瞑想とデッサンは「細部を見る」方法論です。デッサンは細部を見ることに加えて、正確にアウトプットをする方法論も含んでいると捉えています。ぼくはこれらを学ぶことで、ちょーうクリエイティブになれるんじゃないかと踏んでいます(現在は編集工学を勉強中)。

 

これをよんで「わかるわかる!」といった人はそんなにいないんじゃないかなーと思います。1年間で4回引っ越し(ぜんぶ住み込み働き)をして、けっこう横断的にいろんな人々と接してきたつもりですが、「変わってんなー」と言われた数の方が多いです。

 

そうなってくると「差別的な目」で見られることもあるんですよ。幼稚園・小・中・高・大学と進んできて、居心地が良かったことの方が少なかったです。なんか馴染めないなー、とか、みんなが当たり前のようにやっている(思っている)ことが、全然理解できなかったりとか。代表的なのがいわゆる「空気を読む」というやつ。

 

その正体は「発達障害」とかそのあたりを勉強していくとなんとなく分かってきて、おそらくただの「違い」です。見た目にはに出てこない違いだから、理解がしにくい。例えばダウン症の子は見た目にもわかりやすいから、「違う」ことがすぐに理解できる。でもADHDのようケースでは、見た目には分かりづらいから同じものを求めてしまう。「なんでこんなこともできないの?」という。

 

差別の類いは、そういった違いを理解できないから起こるんだと思っています。今後は多様性が認められる世の中になるのかなー。というか、付き合う人を選びやすい世の中になっていく感じかな?

 

歴史的な観点から

差別の歴史っていうのは、実はすごくすごーく昔からあるんですね。宗教の始まりあたりからになります。宗教と言うと、戦争の引き金にもなっています。人間の営みとして、教科書にも載るほどです。戦争は人間の歴史と切っても切り離せない、宗教も同じく。最近読んでいる17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義という本にはこうありました。

 

ゾロアスター教をつくった古代ペルシアのゾロアスターは、さまざまな物語の神々を「善」と「悪」という二つの対比で編集しました。リアルな人間の世界や社会を光と闇の関係で解こうとした。このような見方を2分法といいます。

 

このような方法が生まれたのが2600年くらい前だそうです。普段ぼくたちが使っている「善い」と「悪い」は起源をさかのぼるとこんなところからきているのでした。ぼくはこれにかなり驚きました。宗教のこと全然知らないけど、宗教開発者のアイデア(というかなんというか)を思い切り使っているではないか、と。

 

あるものを「悪」として排他的に扱うことが差別とすると、人間との関わりがめちゃめちゃ深い。フォッサマグナくらい深い。同性婚が法的に認められたという記事を読んでみたところ「破棄する」という一文がありました。ぼくはこれを、同性婚が法的に認められていなかった(禁止されていた)歴史があると解釈しました(違ってたら教えて下さい)。結婚とは異性同士でするべきで、同性どうしの結婚はあってはならないという。

 

この変化は、かなり大きなできごとだと捉えています。いち生物としては非効率な営み(子孫繁栄しにくい)で、なんだかエラーが起こっているような気もしますが。人間がよほど知的になったということでしょうか。

 

 

発信者として

プロフィールを虹色にするやつ、仕組み的にお洒落だなぁと思いました。これ、けっこう流行っているみたいじゃないですか。誰でも知っていて、お洒落で、抵抗なく纏うことができる。まずはカジュアルなところから入って、だんだんとその中身を理解してもらうような仕組み。たぶん、虹色の意味を理解せずにパパッとプロフィール変えている人もいると思うんですよ。でもぼくはそれでいいと思います。なんかおしゃれだから身につけてみて、あとから中身を知って、認知してもらうだけでも成功だ。

 

ぼく自身も難聴とか言語障害とか社会不適合気味な感じとか、こんな風に感じている・見えているというのをお洒落に打ち出したいと思っていて。だから今回の虹色プロフィールにはかなり刺激をうけました。「うめぇな」と。見にくくなるから取り入れませんでしたが。ぼくはブログに書くことで意思表示をしようかなと。

 

ぼくは口蓋裂と感音性難聴が合わさった5万分の1の個体なので、その感覚世界を発信していきたいと思っております。あと考えることが好きなので、考えることの楽しさをカジュアルにお洒落にかたちにしていきたいです。いま書いていて、「やりたい」といっているうちはできなくて、「やる」といったらできるようになる、という言葉を思い出しました。というわけで言葉を変えます。発信するし、かたちにします。

 

 

まとめ

みんなの心に虹色があったらいいなぁ。

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About エーサ(Eita Sato)

移動型のライター・編集者。3ヶ月〜1年スパンで拠点が変わる。得意ジャンルは旅・ライフスタイル・テクノロジー。インタビューが好き。 趣味は旅・読書・ランニング・喫茶店巡り。旅は、現地に紛れ込んでその土地の空気感を肌で感じ取るスタイル。

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