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実家に来て感じたことを綴っていたら「家族憑依」という言葉が生まれたよ。

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どーも、えーたです。
今日はちょっと、実家にて感じていることをば。

 

ジェネレーションギャップと、レイヤー(層とか領域かなぁ)的なギャップと、その他諸々のギャップを感じる。

 

自分は高校を卒業するまでこの家で暮らして、価値観とか考え方とか、それなりに影響を受けていて。

 

でも大学に入って接する人の種類も増えて、特に一人旅をしてからはなんだか今まで常識だと思っていたことは、どうやら常識ではないようだと感じていて。

 

それからというもの基本的に、自分の中にある常識を疑っています。半信半疑の状態。だから「一貫性が無い」とか「芯が無い」みたいな、ふわっとした印象を周りには与えているんじゃないかなーと思う。

 

 

まだ、なんか方向性を探り中というか、「まだなんかあるだろう」的な感じがある。

 

それでも最近は「こうだろうな」みたいなものがだんだんと確信に変わってきていて。

 

まず家族とは、過ごした世界と入ってきている情報が違い過ぎてお互いがお互いを理解できない。これは決定的。

ぼくの場合はガンガン考え方が変わっているから、かつての自分(高校時代あたり)からの変遷をたどれば家族の言っていることは分かる。

 

が、ガンガンと変化しているぼくの考えを、家族が100%理解できるかというとそうではなくって。田舎暮らしを〜とか、仕事を複数〜とか、生産側に〜とか言うと「それは難しい」とか「体力が」とか「仕事は」「住む場所の当ては」とか、いろいろ言ってくる。

 

 

「できない理由」を探してくるのだ。まぁ言っていることは正しいから、わかるんだけどね。当てなんかこれから探しにいくんだし、やったこと無いことをするんだから難しいのは当たり前だ。できない理由ばかりを探す人とは、あまり話をしたくない。

 

 

このまま行くと段々と考え方は剥離していって、大事な部分では全く話しが噛み合わないってことになるんじゃないかなーと思う。

 

ただまぁ、今の理想が現実になった途端に手のひら返したように「なるほどそういうことか!」ってなるパターンはあり得る。

 

今までの傾向的に、全部そうだった気がする。

「やめておけ」と言われたことは、基本的に言うことを聞かずにやって、うまくいく(うまくいくまでやるだけなんだけどw)。そして結果を見せると「いいじゃないか!」みたいな。やめておけって言ったよね。あなたなんなの、って。

 

具体的なエピソードは思い出せないんだけど、そーいう場面が多々あった印象である。

 

自分は向こうの背景を知らないし、向こうもこちらの背景を知らない。

 

となるとしっかりと話せばいいんだけど、そーなると「めんどくさい、もう勝手にやってくれ」みたいになる。せっかくこっちは自分の考えを述べたのに、「メンドクサイもういいや」みたいな。

 

じゃあなんであんなに否定的になったんだよと。大して考えてないくせに否定するんじゃないよ。と、言いたくなる。

 

こーいうことを書いていると「家族にどれだけお世話になっているのか分かっているのか?」とか「生意気を言うんじゃない」と、言い出す人がいる。ぼくはこれを「家族憑依」と呼ぶ(いま考えた)。

 

ぼくの家族になったつもりになって、叱ってくるのだ。あなたはぼくの家族ではないし、しったつもりになっているだけだ。当事者ではないのだから、「つもり」だけで説教をしないで欲しい。

 

お世話になっているからと言って、言うことを聞く必要はないし、それはただの傲慢でしかない。言うことを聞かないことは裏切りではないし、ただ健康に生きていればそれで十分だと思う(勘)。

 

なんだか「家族憑依さんの説教はただの傲慢である」みたいな結論になってしまった。

 

本日はこの辺で。

 

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About エーサ(Eita Sato)

移動型のライター・編集者。3ヶ月〜1年スパンで拠点が変わる。得意ジャンルは旅・ライフスタイル・テクノロジー。インタビューが好き。 趣味は旅・読書・ランニング・喫茶店巡り。旅は、現地に紛れ込んでその土地の空気感を肌で感じ取るスタイル。

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