ぼくは、自分に自信がない。これといった根拠もなく。障害をもって生まれたことや、中学時代に言語障害をネタにいじめられた(人前で口を開くのが怖くなり、塞ぎ込んだ)過去はあるけれど、いまはもう克服している。
それでも、まだ自信がない。
そんな自分の内面を、アドラー心理学の「目的論」に基づいて考察してみました。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えの一部を参照しながら考察を進めていきます。
目的論と原因論
目的論をイメージしやすくするために、まずは「原因論」の説明からしますね。
「あらゆる結果の前には、原因がある」
現在の私(結果)は、過去の出来事(原因)によって規定されるのだ、
これが「原因論」の考え方です。たぶん多くの人がこの考え方をしていると思います。何か壁にぶつかった時、問題が生じた時、それを引き起こしている原因を解明しようとします。これが原因論的なアプローチ。
それだけではわからない〜という方は本書にあった事例を踏まえて掴んでいきましょう。
彼は部屋の外に出るのが恐ろしい。一歩でも外に出ると動悸が始まり、手足が震える。
外に出るのが恐ろしくて仕方がなく、引きこもっている子がいる。それも外に一歩でも出ると、手足が震えるほどだ。過去に、相当辛いことがあったのかもしれない。
簡単にすると以下のようになります。
現在の私(結果)= 外に出るのが恐ろしくて仕方がない
過去の出来事(原因)=過去に、相当辛いことがあった
それに対して目的論は
アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考えます。
いま現在の問題に対して、過去ではなく「今」に注目します。また「原因」ではなく「目的」を考えることをします。先ほどの事例でいうと、
「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安と言う感情を作り出している」と考えるのです。
つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その後目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。
対話形式の文章なので呼び方が変わりますが、ご友人とは「彼」のことです。「外に出るのが怖くて仕方がない」という状態は、すでに目的を達成済みなんです。
解決したくて困っていると思ったら、実は外に出ないという目的を達成済みだったなんて、とんでもなく意外でしょう。
本書ではさらにこう続きます。
われわれは原因論の住人であり続ける限り、一歩も前に進めません。
アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」
「経験それ自体」ではなく「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。
自信のない自分が達成している「目的」とは
目的論に従うと、「自信がない」という今の状態はとある「目的」をすでに達成している状態です。そんな馬鹿なと思いますが、達成済みの目的、つまり「自信がない状態を作り出すことで得ているもの」を考えていきます。
と思ったら、答えらしきものが、書いてありました。
あなたの「目的」は、「他者との関係の中で傷つかないこと」なのです。
自分に自信がない(という状態をつくりだす)と、踏み込んだ関係を築こうと一歩踏み出すことはしません。
ぼくは中学生の時に激しく自尊心を傷つけられました。それのせいで、今ひとつ吹っ切れない状態がかれこれ10年くらいつづいている。あの時ぼくを笑って馬鹿にした奴らのせいで、こんな状態になっているんだ。
あの体験さえなければ、私はもっと明るく自由に振る舞っているのに。とまぁ原因論的に見ていくとこんな感じでしょう。
中学時代の経験で言えば
「所属するコミュニティ全員からの無視」
「友達だと思っていた人が、明日には友達でなくなる」
「口を開くと笑われて、否定されて、自分の価値を信じられなくなる」
これらを避けるという目的を達成していることになります。
では、どうやってその目的を叶えるのか?答えは簡単です。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の空に閉じこもるのは、誰とも関わらずに済むし、仮に他者拒絶されたときの理由付けにもなるでしょう。
「言語障害をネタにいじめられて、激しく自尊心を損なった経験」から消極的になっている側面を「短所」としてなにかと躊躇する際の理由づけに用いているんですね。
では目的をすげ替えるには。「短所」という意味づけを変えるには。
そこから一歩踏み出すには。
さて「自分に自信がない」というのは「他者との関係の中で傷つかないこと」を目的にしているらしいぞ、ということが見えてきました。でも、そうじゃない人だっているかもしれない。
なかなかためになりそうな問い掛けがあったので、引き続き引用をしながら考察を進めていきます。
あなたは別人になりたがっているわけです。その「目的」とは何でしょうか?
自信がない、ではどうなったら(誰のようになれば)自信が持てるのか。その目的とはなんでしょう。この別人である誰かを具体的に考えていくと、その目的が見えてくるかもしれません。
友人なのか、スポーツ選手や芸能人などの憧れの人なのか。自分はいったい誰になりたいのか?考えてみると良さそうです。
では目的が「他者との関係のなかで傷つかないこと」だとして、いったいどうしたらよいのでしょうか。
「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
「短所」という意味づけを変えるには、まずこの発想が必要だそうです。何が与えられているかに注目するから、ないものねだりになる。与えられたもの見つめて「どう使うか?」という思考をもつこと、これがスタート地点。
この思考、
アドラー心理学では性格や気質のことを「ライフスタイル」と言う言葉で説明します。人生における、思考や行動の傾向です。
「ライフスタイル」と呼ぶそうです。このライフスタイル、世界をどう捉えているかという「世界観」に近いものだそう。では性格や気質を「ライフスタイル」と捉えなおすとどうなるのか。
例えば「私は悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人がいたとしましょう。その言葉を「私は悲観的な"世界観"を持っている」と言い換えてみる。
性格と言う言葉には、変えられないものだと言うニュアンスがあるかもしれません。しかし世界観であれば変化をさせていくことも可能です。
なるほど、性格は変えられないイメージがあるけど、世界観という風に「言い換え」ることで、「変えられるものだ」と認識を改めるんですね。そして結構な衝撃だったのは
アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものだと考えます。
その世界観を自分で選んでいるということ。自分で「自信がない状態」を作り出している。いまの自分は、自分自身で「よし」として選んでいるんです。じゃあ、一体いつ選んだのか?
およそ10歳前後だというのが、アドラー心理学の見解です。
これがかなり、ショックでした。自分の体感的に、自信がない状態をつくりだして深い人間関係を築かなくなったのは中学生あたり。ではぼくは、中学時代から思考の癖が変わっていないということ。
でも、納得です。
もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはずです。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」と言う決心を下しているからなのです。p51
世界や自分への意味づけ(ライフスタイル)を変えれば、世界との関わり方、そして行動までもが変わらざるをえなくなります。この「変わらざるをえない」というところを忘れないでください。
あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選び直せばいい。厳しい話かもしれませんが、シンプルです。
なかなか耳が痛いですが、変われないのではなく「変わらない」という決心十数年間を自ら下し続けた結果がイマココ、というわけです。じゃあ、ライフスタイル・思考の癖・世界観を選び直すには。
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