弱者の声が聞ける人は美しい、と感じる理由を考察してみた。

弱い人の"声"が聞けるってのはとても素敵なことやと思います。

いわゆる社会的弱者、知的障害やなんらかの機能障害で、日常生活が困難な人たち。
そーいう人たちの、声にならないかすかな声を聞けるってすごく素敵。

なぜこんなにも素敵に感じるのか。考えてみました。

結果、

自分も弱者だから、その繊細な感度に惚れている。

という結論に至りました。

ぼくは言語障害でかつ感音声難聴。

あとノイズ系ボイスで、
環境音に声が混ざる。

 

こうして発信はしているけども
弱い立場であると自覚してて。
むしろ弱いからこそ発信している。

発信しなかったらなにも起こらない気がしている。

 

ソルジャータイプのビジネスマンでもないし
"歩くエネルギー"みたいな人間でもない。

 

自分の声はあまり人には届かないと思っている。
価値観が理解されにくいというか。

マイノリティってやつですね。
別にマイノリティであることにはなんとも思ってなくて。
というかおれ、言語障害と聴覚障害もってんのか。
程度は軽いやつだけど、人より過ごしにくいんだろうな。

言わないと気づかんレベル。

言語障害や聴覚障害の認知度が低いから、

ただ耳が悪いとかそーいう認識だと思われる。
難聴の種類も複数あって程度も仕組みも違うし

見えている・感じている世界が結構違う。
けど、強者の方は全く意識しないんですね。

しなくても困らないから。

その辺り弱者の声を聞ける人は、

「あ、そうなの?程度は?」とか
「ふんふんそっか」とか関心を持ってくれるし

寄り添い方や対応の仕方を熟知している。

だから安心するのかな。

「弱さ」や「弱い人」を知っている人は素敵です。惚れます。

ABOUTこの記事をかいた人

編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。