障害をファッションにするということ。

どーも、えーたです。

先日も書きましたが、自分の中に

「障害をファッションにする」

というキーワードを見つけました。

先日の記事は長過ぎて最後まで読んでない人がほとんどだと思ったのでもう一度書きます。

障害をファッションにするとは

端的に言うと

「コンプレックスを武器にする」

ことに似ています。

お笑い芸人なんかを例にとると
分かりやすいでしょうか。

例えばハリセンボンの春菜さん。

「角野卓造じゃねぇよ!」というギャグが有名かと思いますが、あれはコンプレックスを武器にしている最たる例です。

女性が自らを「おっさんに似ている」ことを自覚してそれで笑いをとりにいこうなんてのは相当キツいものがあると思います(実際のところは知りませんが)。

あまり、触れてほしくない。できれば隠しておきたい部分とでも言いましょうか。

障害をファッションにするということはそれと似ています。

ぼくは言語障害であることにコンプレックスを感じているのですが、(あと環境音にまぎれる系ボイスも)それをむしろ「お洒落」として纏うという。

自分が今までひた隠してきた「障害を」むしろ「お洒落でしょ?」くらいに身に纏って魅せること。

それが「障害をファッションにする」ことです。

今は志ひとつで、何をしたらいいのかちょっとよくわかりません。思いついているのは難聴ピアスくらい。残念ながら進んでおりませんが。

期待する効果

それでこれを実行した時の効果としては

「なんか、生き辛いな」

と感じている人が楽になるかと(勘)。

「ばれたくない」と思って障害を隠している人もいると思うし、もしぼくが障害をファッションとして纏っていれば、もっとみんな生きやすくなるキッカケになると思ってます。

ぼくはこれをテーマに起業したい。

起業をしたいというか、これをテーマにずっと行動をしていきたい。具体的な策が、ちょっとよくわからないんですけどね、今のところ。

表現をしていきたいというか。

生きづらさを感じてきた

ぼくの障害は軽度なので、健常者と一緒に生活してきました。それゆえの「生きづらさ」みたいなものは感じてきたし、目の前に広がる世界も、人と違う見え方をしていると思います。

「みんな違うのは当たり前だ」

と言えばそれは正論なのですが、当たり前すぎるのでそんなことをいっても無意味です。誰でも言えることをいっても意味ないですから。

ぼくにはぼくのバックグラウンドがあるし、

言語障害&聴覚障害を持っている人はおそらく少数派でしょう(それでも一定数はいるはず)。

だから「ぼくにはこう見えた」っていうのは、見る人によってはけっこう新鮮味があると思う。

それを映像に落とし込んだり、
ものとして形にしたり、

そういったことをやっていきたいですね。

まだ暮らしにつながる感覚はしてませんが。
そこともつなげていきたいですね。

食べることや働くことは
すぐに暮らしと密着するけども
表現することはなかなかつながらない。

それも今後のテーマです。

暮らすことと表現することをつなげること。

ABOUTこの記事をかいた人

編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。