型を学ぶ = 型にはまる ではない。飛躍したい人こそ型を学ぼう。

「型を学ぶ」というと、あなたは何が浮かぶでしょうか。ぼくは特に空手なんかを思い浮かべます。

磨いてみがいて磨きあげて、余計なものが削ぎ落とされて美しくなっていく。彫刻のようなイメージですね。

ぼくはライターとして活動しているのですが、ISIS編集学校というところで編集の勉強をしています。そこでは編集の「型」を学んでいるのですが、最近ようやく「型を学ぶ」ことを勘違いしていた自分に気づきました。

 

「型を学ぶ」に対するよくある勘違い

ぼくもそうだったのですが、型を学ぶと聞くと、正解のようなものに合わせて自分を歪曲させていくイメージを持つ人が多くいます。

編集学校での勉強があまりにも面白いので、「型を学ぶの超楽しい」と会う人あう人に言っていたら「型から抜け出せなくなる」「オリジナリティが大切」「理屈よりも感性」という意見 
をよく耳にしました。

「型にはまる」という表現があるように、確かにネガティブなイメージがあることは否めません。ぼくもそう思っていました。

しかしこれは勘違いで、型があるからこそオリジナリティ溢れる創作ができるし、感性も爆発させられるんだと思うようになりました。

感性を磨くのは超重要だと思いますし、世界中で評価される作品にはその人から滲み出てくるものが含まれているとも思います。

かつては「常に感性で生きている」みたいなスタイルに憧れていましたが、身の回りに隠れている型を探し回るようになりました。

「型にはまる」は、とても勿体ない勘違いだなぁと感じる今日頃ごろです。

 

なぜ「型」が大切なのか

型が大切な理由を端的に言うと「遠くに行くにはカロリーが要る」からです。遠くというのは、ぼくにとっては「よりクリエイティブな領域」のことです。

ここから先はぼくの主観をふんだんに盛り込んでいきますので、興味のない方はノートPCをたたむ、タブレットの電源を落とす、もしくはスマホ画面をスワイブするなどして見ないようにしてください。

「型」は、よりクリエイティブな領域に進むためのツールです。仕事でも趣味でも、なにか上達したいものがあるならば、型を探してみることをお勧めします。

ちょっとわかりづらいと思うので、旅に例えてみます。電車の旅、自転車の旅、歩くたび、なんでもいいです。

遠くに移動するには、それなりに体力がいりますね。自転車で北海道から沖縄まで行くのと、飛行機で行くのとではえらい違いです。

自転車では、1日あたりの移動距離は自分の体力に左右されますが、飛行機では左右されません(長距離フライトはかなり疲れますが)。

自分の体力に関係なく移動できるのは、自分の代わりに頑張ってくれている人がいるからです。この「自分の代わりに頑張ってくれる人」こそが「型」なんです。

飛行機にのっている間は、本を読むとか音楽を聴くとか、PC使って仕事をするとか、わりとなんでもできますね。移動するのと同時に他のことができちゃうわけで、とってもお得です。しかも、自転車と比較するととんでもなく早く目的地に到着しちゃう。

時間も体力も節約できて、かつ他の作業もできるんです。

例示がちょっと極端ですが、これが型のパワーです。より遠くへ、より少ない体力消費で行くことができるんです。体力消費を抑えることができれば、余った分を他のことに使えますね。

だから、型の力を借りることで「よりクリエイティブな領域」に食い込んでいけるとぼくはふんでいます。

たくさんの型を身につけて、組み合わせて、より遠くへ。最終的には体力勝負(あとは性格の向き不向きとか)になってくるので、身体づくりも課題になります。

型を学ぶことは、より遠くへいくための手段です。型を磨くこと自体が楽しいって場合もあるかもしれません。

 

学ぶことは真似から始まる

ではどうやったら型を学べるのか。これは「ひたすら真似をする」しかないと思っています。赤ちゃんは、親の真似をして言葉を覚えますよね。基本的にはこれと一緒ですが、ぼくが実践してきた中で「これかなぁ」と思う例があるので、ひとつ紹介します。

テーマは「笑い」です。

ぼくはかつて「オチのない話」をしまくって周囲を困惑させていた経験があります。常にそれを求めるのはどうかと思いますが、あったほうが話が弾みます。

「で、オチは?」

と言われることもよくあり「オチってなんだよ」と心の中で文句を言いつつも悩んでおりました。よくスベるので「スベラー」なんてあだ名をつけられていた時期もあります。そんな時に本屋で偶然

話に「オチ」をつける技術―伝わり方が劇的に変わる6つの話術」という本に出会いました。

目次をパラパラと読み

「これだ」

と迷わず買いました。書店のレジに並び、この本を店員さんに渡す瞬間はとっても恥ずかしかったです。

この本の趣旨は『オチのある話には型があり、それさえ身につければ誰でもオチのある話ができる』というものでした。オチってなんだよと悩んでいたぼくにうってつけの本です。

詳細は省略しますが、ぼくはこの本のおかげで雑談力か身についた自信があります笑

あとはこの本を参考にしつつ、漫才をみて、ひたすら研究を重ねていきました。参考にしたのは中川家(ご存知ない方はすみません)。日常に転がっているネタを拾ってきて、見事に笑いにしていますよね。礼二(弟)さんの「通天閣の周りにいるおっさん」の真似が大好きです。

漫才を観察していくと、

フる→ボケる

ボケる→ツッコむ

が基本型なんだなぁとだんだんとわかってきます。

特に中川家の場合は、お兄ちゃんがフる → 弟がボケる(芸の披露) もしくはお兄ちゃんがボケる(たぶんアドリブが多め)→ 弟がツッコむというのが基本型にあると思います。

 

例えば

兄「あんな、さいきん新幹線が怖いねん」← フリ

弟「なにが怖いねん、そんなことあらへんがな何が怖いねん」← 自然な対応

兄「新幹線のトイレ怖いやんか」← フリ

弟「あんなもんお前、コオオッ‼︎‼︎」兄「うわビックリした!もうやめてぇや〜」←お客さんドッカーン

みたいな具合です。

 

あ、フリはこうやるんやな、ボケはこうやるんやな、ツッコミはスピード(タイミング)が重要やねんなと、だんだんと理解がすすんでいきます。

あとは「オチのある話」と「ボケ・フリ・ツッコミ」の型を提げて、友達などを相手にして実践です。ぼくは旅が好きなので、旅先で会った人たちを実験台にトライしまくりました。旅先で出会う人はその場限りの話がしやすいので、リスクが低くおすすめです。

以上、型にまつわるお話でした笑。

ABOUTこの記事をかいた人

編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。