当たり前のことしか言わない人の当たり前のことしか言わない3つの理由。

拠点を決めないライフスタイルを目指しています、
いまはライターのお仕事をいただいて奮闘中です。と言うと

「そのための準備はしてるの?準備は大事。」
「先人たちがどうやったか調べてる?君だけがやってるわけじゃないからね。」
「ライターは何を書くかが大事だよ。
うまい人の真似をするのもいいけど、それだけだとつまらないからね。」

と、当たり前の文句を並べて満足そうな顔をする人がたまにいます。

不思議で仕方ありません。

ぼくだったら、
どうやって情報収集してるのかとか
ライターの仕事をどうやって見つけたとか
けっこういろいろ聞き出したくなります。

なぜ、当たり前のことを言うだけで満足するのか、考えてみました。

 

適切なアドバイスをしているように感じる。

当たり前のことは、当たり前ですから異論を唱える人はまずいません。

例えば、「雨が降ったら傘をさすべき。」

これにわざわざ「いやヨーロッパではそんなことはない。」なんて言う人はいないでしょう。
反論されることなく「そうですね。」となります。
ゆえに、「わたしは正しい答えをアドバイスできている。」と感じるのでしょう。

 

 

貢献している感を得たい。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えによると、
人は他者に貢献している時に最も幸福を感じます。

当たり前のことを言えば否定されないし、
アドバイスという行為は迷っている人を「導く」行為ですから、
貢献している感覚は得られるでしょう。

 

 

自尊心の回復

貢献している感覚が得られれば幸福を感じます。
また、自分は役に立っているんだ。必要とされているんだという感覚が得られます。
こうして「自分は優れている」と感じて自尊心が回復されます。

 

結局のところ、自尊心の回復が目的なのですね。
当の本人はそんなこと考えてないでしょうけど。

ぼくはアドバイスが欲しい時は素直に聞きます。
当たり前のことをベラベラ喋られても苦しいです。

ですが、話している本人は気持ち良さそうなので
よっぽど長くなければ聞くことにしています。
話を聞くだけで人の気持ちがスッキリするのならば、
ちょっとくらい耳を傾けるのもいいんじゃないでしょうか。

ABOUTこの記事をかいた人

編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。