揶揄していた人が成功すると手のひらを返したように態度を変える人々は、自分の発言や行動を顧みていない。

どーも、えーたです。

ずーっと気になってるテーマを書いてみました。これ、心あたりある人けっこういるんじゃないかなー。

ぼくのイメージでは、ここ最近は「ボケて笑われる側は嫌だからツッコミ側にまわろう」という人々であふれ返っています。意識無意識はおいといて。

一億総ツッコミと言われる時代ですからね。

タイトルに挙げた人々は得てしてツッコミ側です。揶揄することで安心感を得たい人たちですから、当然ツッコミ側にいるでしょう。揶揄して安心するのです。たぶんですけどね。

具体的な例は覚えていないのですが、前々からそんなことを感じて生活していた記憶があります。なにかやろうとするとやいやい言われて、いざやってみてうまいこといくと急に態度が変わる。「なにしてんの?」「なに考えてるの?」「それはゆとりの発想だね〜」なんて言っていた人たちが「おーすごい!やるなぁ!」「いいねぇ!」みたいにすげー褒める。

いままでの発言は一体どこにいったのか。笑えるほどにガラッと態度が変わる。不思議で不思議で仕方がない。一貫性ゼロ。まぁ人間は矛盾した生き物ですから多少はあっても気にしません。

ですが、揶揄して上から目線でやいやい言っていたのに急にいい顔して近づいてくるなんて話が良すぎませんか。揶揄するなら、ずっと揶揄していて下さいよ。混乱しますし、そういった態度は人から信頼をされなくなります。

ものごとの起点が、自分の考えじゃないんですね。みんなが揶揄しているから自分も、といった感じでしょう。自分のあたまで考えていないから、態度も一貫していないし、そのことにすら気づいていない。気づけない理由は、発言や行動を顧みていないから。自分の頭で考えていれば、わかりますから。

だから、もう、気にしないことにしています。だって、なにも考えていないんですから。同じ土俵に立っていないのに、話がかみ合うはずもないし。

なんで、あんなに、適当に言葉を散りばめていて平気なんだろう。

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編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。