『嫌われる勇気』という書籍と共に、一躍有名になったアドラー心理学。
初めて読んだときは手放しで絶賛していたのですが(ベストセラーでしたし)、「もう一度見つめ直したほうがよいのではないか?」と思い改めて基本をおさらいしました。
嫌われる勇気を読んだけどよく理解できなかった、という方にも理解しやすいようにまとめたのでよかったら読んでみて下さい。
人はみな劣等感を持っている
「劣等感」という言葉は、アドラーによって生み出されました。
人は誰しもが身体や精神に(相対的に)劣った部分があるとして、人間には普遍的に「劣等性」というものが存在すると考えたそうです(※アドラーが医師を目指した契機は、幼児期から抱える病気や事故により身体障害を経験したこと)。
そして人間精神はその劣等性を克服しようとする(劣等性から優越性へ向かう)ようにできているという捉え方をしています。
人間精神は「現在の目的」に使われている
アドラーの師匠的存在である「フロイト」の精神分析学では過去の体験を重視していますが、アドラーの個人心理学はそれに対して「現在の目的」に注目しています。
人間精神は劣等性を克服しようとするときにある「目的の設定」をし、その目的に従って精神の状態が形成される。
よって個人心理学において、神経症的な症状(心の病)は、無意識的に設定した目的によって引き起こされていると捉えます。
目的設定の仕方=ライフスタイル
劣等性を克服する際には、目的となる優越性を設定します。
その設定の仕方をライフスタイルと呼ぶそうです。
以下『人はなぜ神経症になるのか』を参考に、ライフスタイルの例を紹介します(p.46【強迫的な罪悪感を持った少年】を要約しています)。
「兄に勝っている」ことを追求する弟
優越性:兄よりも優ること(兄は学業優秀で人気者)
価値観形成のエピソード:
兄が手伝ってくれた宿題を「全て自分が作った」と嘘をつく。
それを3年間隠し、教師に報告する(が、教師は笑っただけ)。
後日、父に報告すると、父は「正直さ」を褒める。
弟は、この家庭においては「正直であること」が最大の価値という認識をもつ。
「正直さ」以外の尺度を避けるエピソード:
大学を卒業して、技術者になろうとするが、仕事に就くまでに神経症が悪化。
入院し治療をする。やがて状態がよくなり美術関連の仕事に就こうとした。
しかし試験前に「奇行」に走り、受験をせずに終わった※奇行というのは、試験前に教会で「私こそが、最大の罪人である」と泣き叫んだこと。アドラーは、“罪の告白=正直さによって周囲の注目を集めている” と解釈している。
アドラーの解釈:
仕事も試験も「正直さ」によって評価されるものではない。
「私は輝くことができない」と暗に判断し、避けようとした。
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この例では「兄には学業でも周囲からの人気でも勝てない」という劣等性があって、正直さ(という優越性)によって埋め合わせようとしています。
「罪悪を告白する正直者を演じた」との診断がされたと考えられます。
患者の行動を細かく観察し、その人は何に劣等性を抱き、それを何によって補填しようとしているのか(どんな目的を設定しているのか)を冷静に見つめて認めていくことが、治療の根本なようです。
「価値観」はいつ形成されるのか?
「優越性の追求」という見方は、人はみな「輝くこと」を目指している、
という前提があるように思います。
学業で優秀な成績を収めるとか、社会的に高い地位を得る、お金持ちになる、有名になる、など(アドラーは多くの患者を観察した結果そのような結論に至ったのだと思います)。
その「価値観」はいつ形成されるのか、気になるところです。
家庭から、学校から(あるいは塾から)、テレビ・漫画・ゲームから、「尺度」を受け取って価値観が形成されているのかもしれません。
まとめ
キーワードは「劣等性」「優越性」「ライフスタイル」。
フロイトと比較すると「現在」を重視している点がポイントだと思います。
余談ですが『嫌われる勇気』の後半部分には「イマ、ココを生きること」や「踊るために踊る」といった趣旨の記述があり、恐らくアドラー心理学は心の働きという範疇を超えています。
また現在を重視する目的論的な立場もプラトンやアリストテレスという哲学者を参照しているようです(同書あとがきより)。
ということはアドラーは目的論という見方を編み出したのではなく参照したことになります。だから概念や価値観というものはその由来を辿って、発生現場まで遡ることで理解が深まっていくのだと思います。
神経症の解釈に「目的論」を結びつけた部分が、アドラーの功績なのかもしれません。