アングロサクソン・モデルの本質

 2003年に「国際ビジネス論の包括的解説書」という位置づけを目指して発行された。ダイヤモンド社及び編集者が「アングロサクソン・モデルの読み解きが必要になっている」と悟ったのだと想像する。出版年から察するに、1990年代~2000年代初期のITバブルが企画の背景にあると思われる(日本では1999年2月から2000年11月の間)。ITバブルを引き起こしたひとつの要因としては、Eコマースがそれまでのビジネスモデルに革命的な影響を与えたことが挙げられている。
 「ここが革命的だ」という点は正直まだ理解できていないのだが、CtoCのプラットフォームを用意して手数料の徴収によって収益をあげるというモデルがそれだろうか。Amazon、eBay、ヤフオク、近年ではメルカリ・ラクマ・ペイペイフリマなどのフリマアプリが該当する。筆者は91年生まれで物心ついたころからECはあったせいか(小・中学生のころヤフオクでトレーディングカードの売買をしていた記憶がある)、ECの登場による革命感は今のところはピンときていない。
 平成時代の不況は第1次(91年3月~93年5月)、第2次(97年6月~99年1月)、第3字(2000年12月~2002年1月)があり、ITバブル(の崩壊)はこの第3次に該当する。失われた10年について、アングロサクソン・モデルの読み解きをベースに振り返り、次の10年を考え直してみてはいかがだろうかという問いかけのようにも思える。
 本書はアングロサクソンの貨幣・法律・言語・カルチャー(民族としての問題解決手法)を論述し、アングロサクソン型資本主義を浮き彫りにすることが主眼に置かれている。日本企業が国際市場で生き残る方法を考察するために、現代の資本主義の型である「アングロサクソン型(アングロ・アメリカン型)」資本主義を、その成立から特徴、利点や欠点を読み解いている。
 未だ理解不足な点が多いものの、宗教観、民族としての考え方(問題解決手法)とが行動原理を定めて、経済の在り方にも影響を与えていくことが見えてきた。「天職」という言葉があるが、この「天」にはプロテスタントの宗教観があり、神が想定されている。人々は天(神)から役割を与えられていて、それを全うする義務があるという考え方が大元だと思われる。アングロサクソン・モデルはコモン・ロー、エクイティが下敷きになっているが、その背景にはキリスト教、プロテスタントの宗教観やピューリタンの影響も受けている(特に倫理観や“勤勉に働くことによってその報酬を受けられる”といった就労の姿勢において)。
 コモン・ローとは、英国の国王裁判所が積み重ねた判例を法源(裁判官が判決を下す際の根拠として参照するもの)として運用される法のこと。世界各国の法体系は大きく分けると大陸法と英米法とに区分され、コモン・ローは英米法とも呼ばれる(コモン・ロー先行して英米法という名称が後に生まれたのか、前後関係は現在のところ理解不足)。大陸法はドイツやフランスが採用しており、コモン・ローと大きく異なるのは成文法(法の内容が文章として記されている)であること日本の法もドイツを参照しているためにこちらに属するが、第二次世界大戦米国の影響を受けている。エクイティは衡平法とよばれ、コモン・ローによって救済できない部分を補完するかたちで成立した法体系。ただし本書ではエクイティ=株式(という疑似貨幣)という意味合いで紹介されている。
 何かもめごとが起きた場合に過去の判例にしたがって問題を解決していくという慣習が、経済においてはデファクトスタンダード(テキストに書いてある内容にしたがって商売が行われるのでなく、商習慣によって商売が行われる)として成立している。コモン・ローを補う目的のエクイティと、株式(疑似貨幣)という意味のエクイティとのつながりは、未だ読めていない。が、株式の価額を重視した価値観がアングロサクソン・モデルの特徴であることは理解できた。特に現代は「神の死」による信仰心の弱まりが、倫理観の欠如を生み、株主利益の追求さえ適っていれば手段は問わないという価値観を醸成してしまっている。粉飾決算(エンロン、東芝)をする動機になったり、たちの悪い情報商材ビジネスが横行したりするキッカケにもなっていると思う。自分の頭で考えているようでいて、実はエクイティ重視の価値観にどっぷり浸かっており、倫理的な観点からの判断ができにくくなっている。
 人間の行動原理には、宗教観や民族としての考え方(集団のなかで何か問題が発生した際にどのように解決していくのか)が、潜んでいる。またそれは経済の在り方にも影響を与えていく。本書においては、神の死による倫理観の欠如とエクイティ重視の価値観と、デファクトスタンダードとが相まって、短期思考を加速させたことが読み取れた。過酷な労働環境が生まれたり、環境破壊が進行してしまったりした要因もここにあるように思う。
 ではイチ個人として具体的に何をするべきなのか。ひとついえるのは、いまの経済システムは人々を短期的な思考に偏らせる方向に向かっていて、自身もその影響を受けている自覚を持つこと。自分さえよければOK、いまさえよければOK、こういう考え方に陥りやすい。この考え方自体がダメというよりは、視野が短く・狭くなりがちで、思考が不自由な状態になることがよくない。だから前提として、すでに視野が短く・狭くなっていると捉えること(自分も含めほとんどの人は、実際にそうなっている)。これをどうにかしようと思ったら資本主義の成立に立ち返って、構造を読み解いて、どう変更をかけていくのかを熟考し、実践していく必要がある。が、構造の読み解きをしている間にも時間は過ぎ去っていくため、いま浮かんでいる「これをやったらいい感じになりそう」を一つ一つカタチにしていくことが現実的な策になってくると思う。

ちかごろの口癖は「では具体的にどうするか」

資本主義はそろそろ限界だ、いまの世の中なんか変だ、そう肌で感じている人がいるとしたら、本書をよんでみてほしい。

アングロサクソン・モデルの本質―株主資本主義のカルチャー 貨幣としての株式、法律、言語

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編集者。メディアづくり・チームづくり・コーチング(編集の)が得意。生きづらさを市場化すべく試行錯誤中。薬を飲むの苦手、手数の多い単純作業苦手、声の大きい人苦手、飲み会苦手。根性叩き直し中。目標はリオネル・滅私。