白川静という巨知を紹介するにあたり、その生い立ちに触れ、漢字研究と東洋的世界観の解明に人生を捧げる(という覚悟)の兆候に迫っていく案内。
思想や方法と人とをつなげて読んでいくセイゴオ流を感見た。そこに編集技法があれば、まず人がある、ということなのだろうか。敬意を払っている証でもあり「白川学」の紹介だからまず生い立ちから、という案内でもあるのだろう。
新たな発見としては、文字本来の「力」である呪能は、漢字だけに限らないこと。原初の感覚を再生しうる力は、アルファベットにも、アラブ文字(の綴りや加飾文字)にも、ホメロスの六脚韻にもある。文字は本来的に呪能を孕んでいる。
漢字は、日本の用法において、国字であると喝破しているところに、古代中国と古代日本を同時に見ようとした白川静の世界観が表れていることを理解した(といっても、ほんのちょびっとだけではあるが)。
中国と日本と(もちろん諸外国も見渡していると思う)を同時にみた上で、日本人的な世界観や身体感覚の特徴は何なのかを見出そうとした気配を感じられた。
ぼくもこの国に生まれた身としては、その原初の感覚は引き継ぎたい。それが日本に生まれ落ちたという偶然を必然にしていく(つまり自由へと向かっていく)ためには欠かせないと思うからだ。
その土地や時代と共に生まれた原初の感覚をもった上で現在を見つめる。私はそれを受けて、どのように応じるのか、眼の前を通り過ぎようとしている情報の声に答えるのか、また返事をしていくのか。