日本語ネイティブなのに語彙力なさ過ぎてツライ…。
自分の書いた文章と、上司や同僚の文章を見比べると情けなくなる。
こんな経験がある方に向けて書きました。
ぼくも過去のブログを見るとショボすぎて恥ずかしいのですが(あまりに酷いのは消しました)「それがわかるのは上達している証拠」と自分に言い聞かせて心を落ち着けています。
この記事では「これが語彙力向上のポイントだ」と思う内容を紹介しています。
では、どうぞ。
その1|きれいな文章にたくさん触れる。
日本語の研究を60年続けた方の書いた『日本語練習帳 (岩波新書)』によると、
「これはおかしい」と肌感覚でわかるのは、出会った文例の記憶によるそうです。人は文脈ごと言葉を覚えて、その記憶と目の前の文章とを照合しておかしいか否かを判断する。
ではどのような文章を読めばいいのかというと、同書にはこうありました。
例:森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎、言葉に対してセンスが鋭い、小説家・劇作家・詩人・歌人、適切な言葉をつかって論文を書く学者。
誰もが一度は聞いたことのある名前がならんでいます。
が、いきなりこの方々の文章を読むのはあまりオススメできません。
というのもぼくは、森鴎外の『舞姫』を読んで返り討ちにあったことがあるからです。図書館で『舞姫』を手に取りパラパラとめくり「ダメだ、これは読めない」と諦めました。
夏目漱石の「こころ」はけっこう読みやすいですが、それでも活字に苦手意識がある場合は大変だと思います。
ぼくの思う近道は、上司や文章がうまい同僚や友人の文章を「写経」することです。
たくさんの文例に触れることで、言葉遣いのおかしい・おかしくないを判断する力はつきます。しかし実際に「書ける」ようになるには、やはり書くしかないとも思っています。
だからよい文例を「読むと同時に書く」、つまり「写経」がベストな策だと思うのです。
その2|見方の誤りを自覚する
言葉を適切に扱っていくうえでは、さらに重要なことがあります。それは「見方の誤りを自覚すること」です。
不的確な表現になった原因は単語にはなく、事実を見る目が曇っているのです。たとえば「臆病な人」を「慎重な人」といったら、それは不的確ということになるでしょう。『日本語練習帳 (岩波新書)』より
言葉遣いがおかしいと指摘される場合、その原因は語彙そのものではなく「ものを見る目」が誤っているということです。
上の引用では「臆病」と「慎重」の意味の違いは理解していても、当の本人にとっては「慎重な人」に見えているということです。
他にも「彼は勇敢な人だ」と「彼は鈍感な人だ」とでは、まったく意味が異なりますよね。 恐怖心に打ち勝って前に進むことと、感覚が鈍いために躊躇いのないことでは意味合いが違います。
後者の場合、モラルに欠けた行動をとったり、社会的なルールを侵すことも考えられます。
見方がおかしいかどうかを自分で判断するにも、やはり単語ひとつひとつの「意味の違い目」を察知することが必要です。
その3|動詞に気を配る
ではどうやって「意味の違い目」に敏感になればよいのか。
ひとつは「写経」によってインプット・アウトプットを同時に行うこと。
もうひとつは自分の行動と動詞とを比較すること。
仕事におけるコミュニケーションでは、相手は「何をしたか」を知りたいはずです。英語では「Doing」にあたるでしょうか。To Doリストなんて言葉もありますね。
この“何”とは“動詞”ですから、言葉遣いを上手くなりたい人はまず、自分の行動と、それに合致する動詞を探すのがよいと思います。伝わりやすくなるはずです。
例えばぼくがこの記事を書く際には、
読者の悩みを“想像”して、原因を“推測”し、解決策を“考え”ました。決して、解決策を“思った”とか解決策を“想像した”ではない。
コミュニケーションコストの削減は心の余裕にも繋がりますし、言葉遣いの悩みを解決できれば仕事の成果も変わってくると思います。
まとめ
最後にもういちど、ポイントをおさらいします。
- きれいな文章にたくさん触れること(写経がベスト)
- 見方の誤りを自覚すること
- 動詞に気を配ること
以上でございます。まずは身近にいる方のモノマネから。